強くなるための「対局意識」(1)
第1回目 心構えと「絡み攻め」
A)上達の扉
その1 手順と心構え
囲碁の勉強には、定石や死活などの問題を解くことで、正しい手順を学ぶ勉強や、過去からの囲碁の専門家達(プロ棋士)が好んで打った手を、定石や布石として知る勉強、手順の勉強が中心に行われています。他方、これとは全く異なって手順ではなく、囲碁の心、対局での意識を中心とした考え方を伝える勉強方法があり、その代表が「格言によって勉強する方法」であるといえます。近年では、関西棋院の苑田九段によって書かれた碁の法則としての新格言などもあり、また格言以外にも「対局で意識して打つべき姿勢を表した囲碁十訣」や、公式免状などに、上達した心境を表した「xxにつき九段を与える」などの文言も、この心構えの勉強となるものです。
その2 対局意識で強くなる理由
昔から「取ろう取ろうは取られのもと」という囲碁格言があります。これは、本来無理なことを、強引にしてもなかなか実現せず、かえって失敗を招きますよというものです。野球選手などで、速球を投げる練習をし過ぎて、肩を壊し、かえって野球そのものができなくなった選手もいます。また、子供の頃、版画を作るために彫刻刀に力を入れすぎて怪我をする。近道をしようとして道に迷うなど、いろいろな場面で、「過ぎたるは及ばざるが如し」という失敗は多くあります。つまりこの急ぐ気持ちが、かえって上達を遅らせることになるので、その気持ちを冷静に保ってください。という意味がこの格言に含まれています。また、法則として「見た目にはできると思っても、周囲の情況をよくみずに焦って無理なことをするとよくないですよ」。という教訓になっています。
その3 格言はどのように生まれたのか
格言は、大切な意識だけでなく、その言葉には真理が秘められています。「取ろう取ろうは取られのもと」という言葉には「取れたら勝てる」という思いと「この勝負には、どうしても勝ちたい」という思いが込められています。また囲碁を始めた頃(初級時期)の「取れて勝てた」という経験もあることと思います。つまり勝つためのもっとも合理的で最短な手立ては、「相手の石を取ることである」という真実があるのです。このために「あ、この石は取れそう、どうやったら取れるのかな」と思うことは、自然な心といえます。これを禁止するとどうしても、心にストレスがかかり、「囲碁なんて面白くない」という子供が生まれる原因になるかもしれません。
B)意識の窓
その4 絡み攻めを狙う
「絡み攻めを狙う」といのは、2つの弱い石がある場合、その弱い石を攻めることで、大きな利益をえようという考え方をいいます。絡み攻めで大切なことは、2つの弱い石があることが条件になっています。一つだけの場合でも、弱い石を攻めることで利益を得ることはできるのですが、これが2つあると攻めの効果は一変し、飛躍的になります。
「絡み」という言葉の意味は、糸がもつれて絡まった状態をいいます。最近では、パソコンに多くの機器をつけて利用する関係上、パソコンが故障し修理しようとした場合、一旦コードを取り外すと、コートが絡まってしまっていて、どの機器のコードがわからなくなったという経験もあるかと思います。このようにからまると、そのまま放置しておくことができない状況であることになります。 囲碁でも、「絡み攻め」にできると相手は手抜きで放置し、他に打つことができない状況になっています。手抜きすると石が取られるので、「逃げる」または「守る手」しか打てない状況になるのです。
その5 絡み攻めを狙うには
絡み攻めを狙うには、相手が取られては負けるという石を攻める必要があります。このような逃げなれならないと状況(制約状態)になると、大変不利なのですが、そうならないように注意しても、やはり上手な人は、そのなるように打ってきているのです。つまり、絶えず、絡み攻めになるように打っているのです。逃げないとお前の石を取るぞ、手抜きするとひどい目にあうぞと脅されている状態になっていまるのです。
これは学校における校則や法律に似ています。ルールがなければ自由に行動できるのですが、一旦ルールが生まれるとそのルールに従わないと罰が与えられます。法律がなかった昔の日本では、他人を殺しても、他人の物をとっても罰せられることはありませんが、現在ではそのような犯罪行為をすると、刑務所で暮らすことになります。つまり、普段の生活はルールを守ることで平和生活が保障されている反面、「ルールを守れ」ということを強いられているともいえます。
その6 「絡み攻め」はいつも狙われている。
囲碁では、形勢が不利になると、勝負手として「絡み攻めになる」場所を狙っています。このため、いつもどちらかが、絡み攻めを狙った勝負手を考えていることになります。